大学の2月‐音声入力にはまる教員ー
本学の一般入試が終わり、先日、合格発表がありました。
ほっとしている人もいるでしょうし、まだまだ気を引き締めて、努力を継続されている人もいることでしょう。
どんな結果も、自分にとってプラスとなる価値があることを覚えていてください。
さて、大学生はどんな2月をすごしているかというと、
期末試験もレポートも終わって、のんびりとしている時期です。
教員たちはどうしているかというと、
試験の採点をしたり、レポートを読んだり、成績つけたり、授業はないものの、それはそれで、いそがしい毎日です。
そんな日々、私は玄関前でつまづいて転んでしまい左手と顔面を地面に強打しました。
左上腕部は、整形外科医いわく、「みごとなくらいきれいだな」と感嘆されるような折れ方で骨折。
幸い手術はしなくていいとのことですが、激痛で息がとまるかもという日々を送っています。
頬は、折れていませんが、大きな口を開けて食事をすると痛みます。
それにしても、「痛み」っていうのは、共感的理解の限界を超えていますね。
いままで、いろんな人たちの「痛み」について理解しようと耳を傾けてきたけれど、まったくできていなかったんだろうなと
感じております。この痛みの連続は、経験しないと絶対にわからないものだなあって。
それに、片手では、いろんなことができないんですよ。これも、なってみないとわからない。
野菜は切れない(殺人鬼のようにふりかざせば、1メートルほど飛んで行ったがニンジンが切れた)、
皿は洗えない(なでるだけでぬるぬる)、料理できないからカップラーメンを食べようとしたけど蓋が片手であけられない、
服は前開きでないと着替えられない、前開きだけどジッパーだと寒い(あげられないから)、
炭酸のペットボトルの蓋があかない(炭酸でなければ歯であけられるようになったんだけど)、牛乳の紙パックの口があかない、
この社会、barrier-freeではないですね。多くの人たちの苦労に寄り添ってこなかったなと反省しきりです。
メールやラインも打てないと、仕事に支障がでるので悩んでいたら、仲間の教員から音声入力を教わりました。
これ、すごいですね。私は、腕を折らなかったら、まったく知らないままだったかもしれないです。
とはいえ、「自己」が「事故」となったり、「多い」が「おーい」となったりして、誤変換を直すのが大変。
でも、まるで新しいおもちゃをもらった幼児みたいに、返事をしなくていいようなラインにも
音声入力でお返事を書いたり、横にいる旦那に音声入力でメールを送ったりして、ちょっと楽しんじゃってもいます。
先日、心配してくれている大学の事務職員に、「だいじょうぶです、いまね、音声入力が気に入っていて・・・」と電話で話をしたら、
「え! 先生、温泉入浴ですか、いいですね~」と言われてしまいました。
音声入力でサクサク仕事するためにも、私、活舌をよくしていかないといけないなと思いました。(ま)